臨済宗中興の祖と云われる、江戸時代中期の禅僧 白隠慧鶴禅師が記した『毒語心経』に出てくる禅語です。『毒語心経』は『般若心経』の経文に白隠禅師が漢文で解説をされた専門書です。
題の禅語は、
是無等等呪(他に比類なき呪文だ)
という経文の解説に登場します。
徳雲の閑古錐。
徳雲比丘(『華厳経』の「入法界品」の中で、文殊菩薩に教えられて仏道修行の旅に出た善財童子が最初に訪ねた賢人)は閑古錐(先が丸くなってしまった錐の様に無用の物、転じて円熟が極まった禅僧を貴ぶ語)だ。
幾たびか下る妙峰頂。
妙峰頂(悟りの境地)に留まらず、毎日のよう街中に下りてくる。
他の痴聖人を傭って、
自分と同じような聖人と共に、
雪を担って共に井を塡む
雪を桶に入れて担いで、井戸を埋めようとしている。
雪をどれだけ井戸に投げ込んでも、融けて水になってしまいますから、井戸が埋まることはありません。この場合は徳雲比丘らの賢人は、世間では無駄だと思われる行為をし続けているという意味になります。『華厳経』の「入法界品」は悟りを求める若者・善財童子(奈良県桜井市の安倍文殊院の善財童子像は国宝指定で有名)が五十一人の善知識・賢人を訪ねて普賢菩薩行の世界に悟入(悟りの境地に至ること)する物語で、徳雲比丘は、文殊菩薩のもとで悟りの境地を得たいという善財童子が、文殊菩薩に促され最初に訪ねる善知識です。文殊菩薩は徳雲比丘について以下のように紹介します。
いかにして菩薩は菩薩行を学ぶべきか、いかにして菩薩行を実践すべきか、いかにして菩薩行を完成させるべきか、いかにして清めるべきか、(中略)あなたに普賢行の輪を教示してくれるだろう。
善財童子は、発心によって心中に湧き上がってくる喜びを噛み締めながら、徳雲比丘を探します。やがて出会った徳雲比丘は体得している念仏門(一切の仏を顕現させることができる力)を用いて、善財童子に仏の世界のあらましを披露し、進むべき修行の道を指し示します。ここから善財童子の長い長い仏道修行がはじまります。
考えてみれば、この善知識(賢人)を訪ね歩く道を辿った修行者は善財童子だけではなかったと推測します。最後まで訪ね歩き、悟りの世界に入ることができた修行者はきっと稀であったと思います。善財童子のように熱っぽく訪ねてくる修行者に、懇切丁寧に菩薩行を言い含める善知識の姿を、
他の痴聖人を傭って(自分と同じような聖人と共に)、
雪を担って共に井を塡む(雪を桶に入れて担いで、井戸を埋めようとしている)。
と白隠禅師は著したのではないかと思います。
また、悟り得た(悟入した)としても修行が終わらないことを『華厳経』の「入法界品」では指し示しています。
業や煩悩や魔境から解き放たれて、(自由に)私は世間道を進みますように。
丁度、蓮華が(泥)水に汚されず、日月が虚空中で妨げられないように。
十方にある限りの(すべての仏)国土において、一切の悪道の苦しみを鎮め、一切の衆生を安楽にして、一切の世の衆生の幸福のために私は修行しましょう。
考えてみれば、悟りを得たとしてもきっと人生は続いていくのだと思います。
寒くなったと思えば服を着るし、お腹が空けば食事をします。身体を動かして疲れ果てれば、寝てしまうでしょう。毎日の生活を努め励むことこそ「雪を担って共に井を塡む」ということです。
そして、人生はひとりだけで進みません。周りのひとたちと泣き笑いしながら、毎日の積み重ねが人生です。
他の痴聖人を傭って、雪を担って共に井を塡む
他人に何と思われようと、損得を抜きにして何気ない日常に気を配り誰かの為に善い行いを積み重ねることこそ、実は尊い行いなのだとこの禅語は教えてくれています。

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