春があっという間に過ぎ去ろうとしています。
『史記』李広伝賛に題の諺が引用されています。
太史公曰はく。伝に曰はく、「其の身正しかれば令せずして行はれ、其の身正しからざれば令すと雖も従はれず。」と。其の李将軍の謂ひなり。余李将軍を睹(み)るに、悛悛(しゅんしゅん)(誠実で謙虚)として鄙人(ひなびと)(田舎者)のごとく、口(くち)道辞(どうじ)する能(あた)はず。死の日に及びて、天下知ると知らざると皆為に哀しみを尽くせり。彼の其の忠実心、誠に士大夫(上級官吏)に信ぜられたるなり。諺に曰はく、「桃李言はざれど、下自ら蹊を成す。」此の言小なりと雖も、以て大をたとうべきなり。
太史公言う。伝に「その身が正しければ命令せずとも実行され、その身が正しくなければ命令しても従わない」というのがある。これは、李将軍のことを言っているようなものだ。私が李将軍を見たところ、慎み深く、田舎者のようで、口は、うまく話すことができないようだった。しかし、李将軍の死の日には、天下、彼を知る者も知らない者も、皆強く悲しんだ。彼の、その忠実な心は、本当に士大夫に信用されていたものだった。諺に「桃やすももは何も言わないが、その下には、自然と小道ができる」というのがある。この言葉そのものは、小さなことを言っているが、大きなことをも喩えられる言葉でもあるのだ。
という話が載っています。
桃やすももも花も見事ですし、果実は実に美味しいものです。道から外れた野原や森の中にこれらの果樹が自生していると、春は花を愛でに人々が訪れ、実が熟れれば、その実を求めて多くの人が集まります。段々と人々が果樹まで歩いた跡が蹊(小道)になっていく様子を、徳のある人を慕って、多くのひとが集まる様子に喩えているのです。徳のあるひととはいったいどのような人か李将軍や桃李を通して知ることができます。花を枝いっぱいに咲かせ、多くの実をつけることは容易いことではありません。花の季節が過ぎると人々が桃李の果樹から離れます。けれど、葉を広げて栄養を蓄え、多くの実をつける準備を毎日果樹は励むのです。そして実が熟れると人々が集まります。果実の時期が過ぎると、葉を落とし冬を越し春に花を咲かせる備えを毎日行じていきます。そうした淡々とした営みを続けるうちに、果樹は大きくなり、生み出した種子はやがて子孫の果樹となり、何処かで同じ営みを続けます。
花が咲いた実が熟れたともてはやされる時期はほんの少しであって、果樹にとっては四季折々の一場面でしかありません。
単に偉くなりたいがために他人の上に立つことばかり考えて行動しても、その人の力量の無さは誰が見ても明らかで慕う人はいないでしょう。朴訥とした李将軍は桃やすもものように、その日その日に為すべきことを淡々と取り組んだからこそ自然と徳が積まれて、誰からも慕われるひとになったのです。
私たちは他人と比べて安心したり不安になったりします。安心しているうちは良いですが、暗転すると人生はあっという間に思うようにいかずに悩み苦しみに苛まれます。そうならないためにも他と比べずに、自らのなすべきことを淡々と取り組むことが大切です。中国明代の処世哲学書の『菜根譚』に次の章があります。
第八十五 貧家(ひんか)も浄(きよ)く地を払い、貧女(ひんじょ)も浄(きよ)く頭(こうべ)を梳(くしけず)らば、景色(けいしょく)は艶麗(えんれい)ならずと雖も、気度(きど)は自ずから是れ風雅なり。士君子、一たびは窮愁寥落(きゅうしゅうりょうらく)に当るも、奈何ぞすなわち自ら廃弛(はいし)せんや。
(意訳)貧しい家でもきれいに庭先を掃き清め、貧しい女性でもきれいに髪をとかしていれば、外見ははなやかで美しいとはいえないが、品格は自然と趣が出てくるようになる。だから一人前の男たるものは、いったんは困窮の境遇や失意の状況に陥ったとしても、そんなことでどうして安易に自分から投げやりになってよいことがあろうか。
桃やすももがもてはやさる時期は、生命の営みの一場面でもてはやされようがもてはやされまいが、為すべきは変わりません。そうしたことに左右されているようでは、枝いっぱいに花を咲かせることも多くの実をつけることも疎かになってしまいます。ひととくらべて不安になると、いろいろなことが手につかなくなり何事も中途半端になってしまいます。
なすべきことを見据えて、淡々と一日一日を丁寧に過ごすことが、余計な悩みや不安などに苛まれずに過ごす秘訣だと思います。
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