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並木 泰淳

好雪片片、不落別処


 中国宋代に成立した禅の公案集『碧巌録』に出てくる句です。

龐居士(龐蘊、中国唐代に生きた出家していない禅者)が澧州(現在の湖南省、中国南部の山岳地帯)の芍薬山に住職していた惟儼禅師を訪ねていきました。龐居士が寺を去る際には、多くの修行僧が門まで見送りにいったそうです。別れを告げる際に、龐居士が空中に舞う雪を指差しながら、この句を口にしました。

 「好雪片片、別処に落ちず 」

(意訳)好い雪だ。ひとつとして別の場所には落ちずに降るべき場所に降っている。

それを聞いた修行僧が言いました。

 「それはどこに落ちるのですか」

龐居士は、その男に平手打ちを食らわせました。

 龐居士は、あらゆる現象がひとつの真理の中に帰入することを雪が落ちる様に例えて言ったとよく説明されています。それを単なる雪の落ちる場所の問題としか捉えていない修行僧に呆れて、叩いたのだと伝えられています。



 自由気ままに空中を落下するかのように見える雪ですが、いざ地面に積もるときは満遍な、偏りもなく降り積もるようにも見えます。

龐居士の「降るべき場所に降っている」「ひとつの真理のなかに帰入する」とは、どういうことでしょうか。

「恒常性」という言葉を思い出しました。恒常性という言葉を辞書で調べてまとめます。

生物のもつ重要な性質のひとつで生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指す。生物が生物である要件のひとつである。



 以前、三〇歳のとき一型糖尿病に罹ったとお話ししました。

現在は、全くインスリンが自らの身体から出ないので、自己注射をしてインスリンを補充しています。だいたい毎日同じものを食べて定量のインスリンを注射していますが、運動量や体調・ストレスなどで血糖値が乱高下します。発症する前までは、身体に宿った「恒常性」のおかけで絶妙なバランスがとられていましたが、現在は恒常性を完全に失ってしまいましたので、放っておくと死んでしまう身体になりました。

 一型糖尿病は発症してから、インスリンを作り出す機能が6ヶ月くらいかけて緩やかに衰えていき、やがて機能が失われて恒常性を保つことができなくなります。衰退期でも恒常性を保つができるため、この期間を「ハネムーン期」とも呼ぶそうです。糖尿病とハネムーンとは悪い冗談ですが、私もハネムーン期の頃は「恒常性を失う」ことについて甘く考えていました。

ハネムーン期が過ぎると血糖値が乱高下するようになります。体調を悪化させ、悩み苦しみ、ますます病気の管理が難しくなっていきます。甘く幸せなハネムーンから帰宅して、現実を見るとはこのことでしょうか。



 「すべての法(もの)はわがものにはあらず」

と かくのごとく 智慧もて知らば 彼はそのくるしみを厭うべし

これ清浄に入るの道なり(法句経 二七九)

 この世の中は「わがものにはあらず」と悟った人は、ひとまず落胆するけれどその現実を受け入れたとき、本当の自分、本当の世界に近づいていきます。(新・法句経講義)



 恒常性を失ったことで、逆に恒常性が自らに宿っていたことを知りました。周りを見渡してみますと、草木も鳥も地球でさえも恒常性が宿り、諸行無常を作り出しています。毎日、檀家さんや家族と泣き笑い過ごしている日常は、恒常性という生命そのものが満ち溢れた世界で繰り広げられ、自分自身も間違いなくその一部に帰入していると、一型糖尿病を得て初めて心と身体で実感しました。



 龐居士がひとつの真理の中に帰入することを雪が落ちる様に例えて言った、

「好雪片片、別処に落ちず 」

(意訳)好い雪だ。ひとつとして別の場所には落ちずに降るべき場所に降っている。

とは、雲の中に現れて風に舞い降り積る雪の姿に、大きな生命の恒常性のなかで、ゆっくりと形を変え続けて存在する自らを照らし合わせ、真理を見出した龐居士の見解が示されているのだと勝手ながら解釈いたしました。








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