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仏心

並木 泰淳

 

 まだ暑さの残る秋の日、自坊のある浅草から電車に乗って法事に出掛けました。 

 ターミナル駅を過ぎた頃、読んでいた本から幾分空いた車内を見渡すと、私と同世代の夫婦と子供の姿がありました。二歳位の男の子をベビーカーに乗せ、お母さんの胸元には抱っこ紐の中で寝ている赤ちゃんの顔が見えます。「これからどこに行くのかな?」と思いながら、読んでいた本に視線を戻した数分後、突然子供の泣き声が車内に響き渡りました。あのベビーカーに乗った男の子でした。

 見ると、手に持っていたマグカップを床に落としてしまい、運悪く蓋が外れて飲物がこぼれていました。両親が慌てて床を拭こうとしますが、お母さんは赤ちゃんを抱っこしていて何も出来ず、お父さんは、お母さんが肩から掛けたバッグの中から、拭く物を見つけ出すのに苦労していました。

 私は反射的に頭陀袋の中からティッシュを見つけて差し出そうとすると、予想もしない光景を目の当たりにしました。

 家族の周りに座っていた様々な人から、次々とティッシュやタオル等が差し出されたのです。

 こぼれた飲物は大した量ではありません。一袋のティッシュでも足りたことでしょう。

 しかし、ひとりひとりに丁寧に頭を下げながら「ありがとうございます」とお礼を言って差し出された全てのティッシュやタオルを受け取りました。そしてお父さんは床を綺麗に拭きあげたのです。

 男の子もいつの間にか泣きやんで、車内は穏やかなほっこりとした空気に包まれました。


 その時、私は忘れていた大切な何かを見つけた気がしたのです。差し出したティッシュを、お父さんに「ありがとうございます」と受け取ってもらいましたが、思わずこちらも「ありがとうございます」と言いたくなるような心持ちがしたのでした。


 見ず知らずの人たちに囲まれて電車やバスに乗っていると、「俺が、私が。」という競争心のような卑しい心が湧いてきます。残念ながら私もそう思うことがよくあります。中には、心の中だけでなく行動に出してしまう人もいるものです。絶対に座りたいと思うあまり、他人をかき分けるように、電車に乗り込んだり、「失礼します」という言葉を掛けることもなく、隙間をすり抜けていく人もいます。そのような場面に出くわすと、「まったく近頃の若者は礼儀を知らない。」「社会人のくせに常識がないよ。」と余計にイライラして、車内の雰囲気が一層悪くなります。

 「自分ひとりで生きている」という勘違いに満ちた、現代社会の縮図が車内にあるようにも思えます。嫌だけれど、電車やバスでは仕方の無い事だと、私も諦めてしまっていました。


 しかしこの時は違いました。偶然乗り合わせただけで、お互い見ず知らず同士でしたが、困っている親子の姿を見て咄嗟に多くの人がティッシュを差し出したのです。

 酔っぱらった人がビールを床にこぼしたり、高校生がふざけ合ってマクドナルドの飲物を床にこぼしても、車内のマナーに目をひそめるだけで、逆に怒鳴りつける人がいても不思議ではありません。

 けれど今回は、不慣れながらも一生懸命に育児に取り組む若い夫婦が困っている姿を見て、周りの誰もが「なんとかしてあげたい」と心の底から思ったことでしょう。その真心でティッシュやタオルが四方八方から差し出されたのです。

 私もそんな真心で差し出したティッシュを、真心で受け取ってもらえました。私が見つけた「忘れていた大切な何か」は、この「真心」であったと思います。見ず知らずの人も、どこかで自分と繋がっていることを実感した出来事でした。



 私たちは「俺が、私が。」という卑しい気持ちも抱いてしまうけれど、その奥底には困っている人に対して「何とかしてあげたい」と思い、手を差し伸べる純粋な真心が具わっています。

 その純粋な真心のことを臨済宗では、「仏心」と呼びます。それは生きとし生けるものは皆、生まれながらに具えています。親にしつけられたわけでも、学校で習うわけでもありません。お母様が産んでくださったときにその心も産みつけてもらっていて、今までの人生でどこかにいってしまったこともなく、ずっと私たちひとりひとりの中にあるものです。



 「仏心」は、他の誰かの喜びや悲しみを、ありのままに自らの喜び悲しみとして受け入れる「智慧」と、困っているひとに即座に手を差し伸べることができる「慈悲」の心を指します。「仏心」が必ず自分にも具わっていると信じ、坐禅や日常生活を通して、もう一度自身の中に見出そうとする教えが臨済宗の教義の根幹です。

 およそ二千五百年前の十二月八日、明けの明星が見える頃にお釈迦様がお悟りを開かれたとされています。「悟り」や「禅」と聞くと仏教は難解なものだと感じられるかもしれませんが、そうではありません。私たちの生活に寄り添う教えだからこそ、二千五百年もの間、仏教が脈々と伝えられてきたのです。

 お釈迦様がお悟りを開かれたこの季節、禅の教えを身近に感じて頂けたら幸いです。

 
 
 

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