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  • 並木 泰淳

涅槃会

 2月15日はお釈迦様が亡くなられた日とされ、涅槃会と呼ばれます。

涅槃とは、一切の煩悩から解脱した状態のことです。お釈迦様は、齢八十にして霊鷲山(インド ラージギルの北東にある地、お釈迦様が多くの説法をされた)を下りて、自分の生まれ故郷であるネパール中部地方に向かって旅立たれました。わずかな弟子を連れて徒歩で旅を続ける姿を中村元博士は『原始仏典』の中で以下のように想像されています。

しかし忖度が許されるのであれば、やはり齢八十にしてこの世の命の終わりに近づいたということに気づいて、生まれ故郷へ帰ってこの世を終えたいという、そういう気持ちがあったのではないでしょうか。そこには釈尊の非常に人間らしい姿、気持ちというものがよく出ているように思うのです。



 お釈迦様の最後の旅路から葬送までが記された『大般涅槃経』を読むと、霊鷲山を下りてナーランダーとパータリプトラを経由し、ガンジス河を渡ります。その後にヴェーサーリーに到達し、逗留しているうちに雨季が訪れ、お釈迦様は病を得る事になります。そこで生命の終わりを観じ、以下のようにお話しされます。


 アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。

しかし、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、彼の体は健全(快適)なのである。

それ故に、この世で自らを島とし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどこととして、他のものをよりどころとせずにあれ。(中略)

アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。



 悟られたお釈迦様であっても、諸行無常(すべてのものはうつろいゆく)という理に逆らうことはできません。病を得て、身体が朽ちていくのを観じますが、他のひとやものをよりどころにすることなく自らと法を島(よりどころ)にすることで常に気をつけて生活していれば、むさぼるような欲と他者と自らを比べて一喜一憂するような苦から逃れることができ、朽ちた身体ですら健全で快適なのだと説かれます。

 大事なことは、ひとたび悟り得たとしても、むさぼるような欲と他者と自らを比べるはからいを起こさぬように常に気をつけて生活を送ることが大事だということです。誰かと比べて自分が優っていると思うことや、誰かの尺度をよりどころにして生活を送ることは楽なことのように思えますが、お釈迦様はそれを否定し、自らに帰依をして、他に執着したりする心を仏法に従って捨てていることを内省し続ける努めを勧めます。ヴェーサーリーを離れるときに、お釈迦様は以下のように弟子たちに告げます。


 わが齢は熟した。

 わが余命はいくばくもない。

 汝らを捨てて、わたしは行くであろう。

 わたしは自己に帰依することをなしとげた。

 汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。

 その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。

 この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生れをくりかえす輪廻をすてて、苦しみも絶滅するであろう。


脚下を見つめ、戒律を守り自らの心を常に内省し続ける生活など、楽しみがなくなった枯木のような人生のようにも思えます。けれど、お釈迦様は以下のように何処も楽しいところであったと度々お話をされます。


 アーナンダよ。ヴェーサリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。バフダッタ霊樹の地は楽しい。サーランダダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい。


亡くなる直前に、今までの人生を噛みしめているように聞こえます。

中村元博士はこのことについて、次のように述べられています。


 しかし修行を続け、道を求めて、過ぎ去った過去を振り返ってみて、人の命は尊く、味わいのあるものだと、この年齢にして感ぜられたということに深い意味があると思います。



 7年ほど前、京都の本山で勤めている父が小脳出血に倒れました。周りの方々の迅速な対応のおかげで、文字通り一命を取り留めることができ、左半身に麻痺が残った状態で京都の桂の病院で入院生活を送りました。一ヶ月ほど経って新幹線で帰京できるほどの体力が戻った旨の診断をいただき、副住職であった私と就職したての弟が、東京での転院先の病院で借りた車椅子を押して京都まで迎えにいきました。

毎日交わす電話や何度かのお見舞いでは、明るく振舞っていた親父だったけれど、京都を離れるとなると様々な思いがあるだろうねと、どしゃ降りの中を突き進む夜中の新幹線のなかで話していました。師僧である父が本山で職を得ることができた時は寺族みなで喜びましたが、不器用な父がひとりで生活できるかどうか誰もが不安になりました。その反面、なんでもできると息巻いていた副住職である私の未熟さに寺族の皆が不安になり、師僧の住職としての存在の大きさを長期不在で初めて痛感しました。父が京都でひとり頑張る姿を毎日思い浮かべ、寺族が力を合わせて寺を守ろうとする不安と高揚感が入り混じる心地よい雰囲気の中で父が小脳出血で倒れました。


 仕事を誰かに任せて入院する申し訳なさ、はじめての麻痺、様々な負の要素を抱えて車椅子で帰京する父は悔しさいっぱいだろうと思うと、私まで悔しくなり、哀れでした。

明朝に迎えにいくと、息子ふたりが迎えにきたことを心底喜び、帰京を楽しみにしている父の姿を見て、弟と私はいっぺんに救われる心持ちがしました。お世話になった看護師さんや本山の同僚に笑顔で別れを告げて、京都の街並みを私たちに解説する父の口ぶりは、大きな麻痺のため、私たちを育ててくれた父の姿とは違いましたが、鮮やかな感動を得ているようでした。



 7年経って、軽くなった麻痺を抱える父と住職を交替し、いろいろなことにつまずいたり不安になったりしながら日々を過ごしていく中で気づくことがありました。挫折したり何かを失ったあと、なんで私だけと悔しくなったり惨めな思いに支配されますが、時間が経って様々な葛藤を経て他と比べなくなったとき、当たり前であった日常をありがたく感じ、それまでの人生が味わい深く思えました。その時、私たち兄弟に鮮やかな気づきを見せた父の姿を思い出しました。父の姿は、お釈迦様の


 ヴェーサリーは楽しい。


という言葉と重なります。

 それまでの務めが果たせなくなった失望、麻痺を抱えての生活への不安という執着をひと時忘れて、これまでの人生を味わい深く感じた父の心境だったと思います。誰かと比べて自分が優っていると思うことや、誰かの尺度をよりどころにして生活を送ることは楽なことのように思えますが、お釈迦様はそれを否定し、自らに帰依をして、他に執着する心を仏法に従って捨てていることを内省し続ける努めを勧めます。容易ではありませんが、誰もが日々の生活で励むことができるものだと思います。

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