お盆の時期が近づくと、臨済宗寺院では施餓鬼法要が催され、水と米を供えて読経をいたします。
『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』 によると、阿難尊者が静かな処で瞑想していると、焔口餓鬼(身体は痩せ細り、常に喉が渇き飢えている)が現れ、
「三日後にお前の命は尽き餓鬼の世界に転生するであろう」
と言いました。
阿難は恐ろしくなり、転生せずに済む方法を餓鬼に尋ねます。
「明日に無数の餓鬼すべてに一斛(二十リットル弱)の食べ物・飲み物を施せば、餓鬼の苦から逃れ天上に転生することができる」
と餓鬼は答えます。
阿難尊者はお釈迦さまに相談すると、
「少しの飲み物と飯を供え『無量威徳自在光明殊勝妙力』の陀羅尼(仏教における呪文)を唱えれば、餓鬼の苦を抜き天上に転生させることができる」
と教えられます。
これを聞いた大衆は歓喜して経典は終わります。
恐ろしい反面、常に飢えと喉の渇きに喘ぎながらもどうにか仏縁を結ぼうとしている餓鬼を目の当たりにすると、施さずはいられない心が湧きます。
日本では餓鬼と無縁仏の姿が重なりました。お盆に帰る家がなく供養してもらえない無縁仏は他の家の軒下に潜み、その家のご先祖様のためのお供えを餓鬼のように先に食い荒らしてしまうと考えられてきました。
ご先祖様に清浄なお供えをするために、先んじて餓鬼に施す儀式がお盆の時節に催される施餓鬼法要の意義のひとつであり、ご縁のある方が無縁仏になっているかもしれないと思う慈悲の心をめぐらし向けるひとときでもあります。
誰もが穏やかに過ごすために施餓鬼法要は催されます。
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