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  • 並木 泰淳

施餓鬼

 2歳半の娘がアンパンマンに夢中です。見たことがない方はほとんどおられないと思いますが、食べ物に関する登場人物がたくさんでてきます。

原作者のやなせたかしさんは宣撫官(占領地で占領軍の意図を知らせ、人心を安定させる役割を担う)として従軍し、正義というものが如何に信用できないものかを感じ取ったそうです。そこで正義のヒーローとは敵をやっつけるのではなく、まず弱者に食べさせて飢えより救うことだと考えられてアンパンマンを生み出されたそうです。



 今回取り上げる「施餓鬼」は飢え乾いた餓鬼に食べ物や飲み物を施すことです。お盆の時期が近づくと、宗派を問わず施餓鬼法要が催され、読経しながら水と米を供えて祈ります。

施餓鬼法要のはじまりである『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』には阿難とある餓鬼との関わりが示されています。阿難(アーナンダ。お釈迦さまの侍者として常に傍で説法を聴いていたので多聞第一と称される)が静かな処で心をひとつに念じていると、


 即ち其の夜の三更已後に於いて一餓鬼あらわる、名づけて焔口と曰う。

 其の形醜陋にして、身体枯痩し、口中に火が燃え、喉、針鋒の

 如く、頭髪髼乱し、爪牙長くするどく、甚だ怖畏可し。

(真夜中にひとりの餓鬼が現れた。焔口餓鬼といい、姿は大層醜い。

 身体は痩せ細り、口の周りは常に燃えて、喉は針の先の如くに細い。

 髪の毛は乱れて、爪は鋭く長い。誰もが恐れずにはいられないだろう。)


 阿難の前にとどまり、阿難に申して言う、「却後三日にして、汝の命将に尽きて、すなわち此の餓鬼の中に生ぜん」と。是の時、阿難、此の語を聞きおわりて、心に惶怖を生じ、餓鬼に問いて言う、

 「若し我れ死後に餓鬼に生ぜんとならば、何の方便を行わば、この苦を免れることを得んや」

 (餓鬼は阿難に対して、三日後にお前の命は尽き餓鬼の世界に転生するであろうと言った。)

阿難は瞬く間に恐怖を覚え、餓鬼に

 「転生しないようにするには何か方法がありませんでしょうか」

と尋ねました。


そこで餓鬼は、明日に無数に存在する餓鬼・婆羅門・行者すべてに摩掲陀国(古代インドの強国)で用いられる桝で誰もに一斛(20リットル弱)の食べ物・飲み物を施せば、餓鬼の苦から逃れ天上に転生することができるであろうと言いました。

無数にいる餓鬼に明日供養せよと言われてもできるはずがありません。阿難はお釈迦さまに相談すると、


「陀羅尼有り、名付けて『無量威徳自在光明殊勝妙力』と云う。もしこの陀羅尼を誦する者有れば、即ち能く散じて無量の餓鬼および諸仙等に種種の飲食を施与し、諸々の餓鬼をして苦身を解脱し、天上に生ずることを得しむ。阿難よ、今受持せば、福徳寿命、皆な増長することを得ん」と。


(意訳)名付けて『無量威徳自在光明殊勝妙力』という陀羅尼(仏教における呪文)がある。読誦すれば、餓鬼や諸天に飲食を施し、彼らの苦を抜き天上に転生させることができる。阿難、今その陀羅尼をとなえ皆福徳を得ることができるであろう。


そしてお釈迦さまは、少しの飲み物と餅や飯を浄らかな器に盛って『無量威徳自在光明殊勝妙力』の陀羅尼をとなえよと続けて説きます。阿難をはじめ大衆は歓喜して『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』は終えられます。


人身受け難し、いますでに受く。

仏法聞き難し、いますでに聞く。

という語がありますが、インド世界で信じられている六道輪廻(天道・人間道・修羅道・餓鬼道・地獄道)では、善い業悪い業、様々な縁によって左右される転生によって人間道や天道に生まれることは難しいと考えられていたようです。ですからご先祖さまたちも少なからず餓鬼道に堕ちていると自然と感じていたと思われます。



国宝である旧曹源寺本『餓鬼草紙』の第五段には、水の飲めない餓鬼が仏の説法で救われる話が出てまいります。絵巻で説かれる餓鬼の様子は以下の通りです、


ガンジス川のほとりに五百匹の餓鬼がいました。餓鬼は永遠に水を飲むことができません。餓鬼は水を飲もうとしても、自らの口から炎が出て蒸発してしまうものですから、渇きを癒せないでいました。そこへ仏がお見えになったので、餓鬼たちは苦しみを訴え、助けを乞いました。仏は諸々の餓鬼のために慳貪(欲深いこと)の咎(とが。過ちのこと)を説いたが「苦しさに責められて、心に入らず」と申しました。渇きと飢えが辛すぎて仏の説法を聞くことができないのです。そこで仏は、神通力で餓鬼に水を飲ませて様々な法を説きました。餓鬼はこれを聞いて、たちまちに餓鬼の姿を捨てて天界に転生しました。



 餓鬼の姿や様子・性格などは様々なパターンや種別がありますから一概には言えませんが、なりたくて餓鬼になった餓鬼は、きっと一匹もいません。喉の渇きと飢えに苦しみ喘いで、どうにか仏縁を結ぼうとしています。『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』の阿難尊者の逸話を読むと、餓鬼になりたくないから施しをしていますが、『餓鬼草紙』の逸話を知ると、飢えと喉の渇きに喘いでいる餓鬼に施さずはいられない心が湧き上がってまいります。

良い悪いはさて置いて、救わずにはいられない境地こそ、仏の慈悲心です。思えば、やなせたかしさんがアンパンマンに託した願いにも重なります。そして私たちの心根から湧き出してくる感情でもあります。

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