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  • 並木 泰淳

雪後始めて知る松柏の操、事難くして方に見る丈夫の心

 

 中国の宋の禅僧 圜悟克勤禅師の言葉で『圜悟語録』に収録されています。


 松や槙などの常緑樹は、四季折々の花々などの美しさに圧されて、普段は人目をひくことはありません。雪が一面に降り積もった時、青々とした枝葉をもって力強く風雪に抗う松柏の美しさに初めて気づきます。

普段、穏やかに生活している中では諸行無常を感じ得る場面はありません。しかし病を得たり、近しいひとを亡くしたりして、辛く苦しい時を経たとき、思わず自らの中にある生命を見つめ諸行無常を力強く意識することができます。

その生かされている生命や心こそを「丈夫の心」と圜悟克勤禅師は表されたのだと思います。


 2年前ほどの年末年始のお話をいたします。年末に、次女(当時十一ヶ月)を抱きかかえて檀家さんへの応対や大掃除を続けていたら、右上腕に激しい痛みを感じました。次第に腕が上がらなくなって、仕方なく整形外科を受診すると、重いものを持ち続けたために腱が腫れてしまったとのことでした。

 「君は三十七歳だから少し早いけど、四十肩の症状だね。」

と医師から声を掛けられて、そんな年齢になってしまったのか、長女の時はどんなに無理をしても大丈夫だったのにと悲壮な思いがしました。

 「絶対に重いものをもってはダメ、悪くなる一方だよ。」

医師の忠告も聞かず、痛み止めを飲んで大掃除を続けました。右腕を動かす度に痛むのでは苦しくて仕方がありません。雑巾を絞るだけでも痛いので大掃除もはかどらず、苛立ちと焦りばかりです。代わりに左手で掃除をすれば良いと思い実行しますが、うまくいきません。力の入れ具合も調節できないし、思った通りには動きません。三十数年間、一回も利き腕を交代したことはありませんから、当たり前のことですね。周りのひとに手伝ってもらいながら、庭の草引きや窓掃除をどうにか終え正月飾りをして、新年を迎える準備が整いました。

新年を迎えると、町中の空気や雰囲気が一変する心持ちがいたします。世界中の人々の心が一年の節目を意識して心を入れ替えようとしているからかもしれません。

そうした人々の作りだす清らかな雰囲気の中に歳神様が来訪されるのだと思いました。


 歳神様は門松に依り憑き、鏡餅は歳神様へのお供え物とされています。どちらもホームセンターで買ってきて設置するだけというのでは歳神様に申し訳ないような心持ちがいたします。お供えする場所を始め家中を掃除して清め、心を込めてお供えすることが大切だと思います。歳神様をお迎えするという教訓には、家中を掃除し点検することで連続する生活に節目をつける教えが内包されていると思います。生きる姿勢や心を見直す機会を得ることが、歳神様から頂戴する利益の一端ではないでしょうか。

また、一心に掃除に取り組むことで、生活を正し心の迷いを離れ、自らの仏心に気づくことができると禅では説きます。私は四十肩に悩まされながら大掃除や正月準備をして、年を越したとき、諸行無常の一端に気づきました。大切な娘が成長する喜びと、自らの身体が衰えていく悲壮は勝手に自らの中で創り出す感情で、その奥にはすべてのものは移ろいゆくという諸行無常という真理がありました。


 雪後始めて知る松柏の操、事難くして方めて見る丈夫の心

普段は松柏の緑は見慣れているものですから、殊更に感動するものではありません。

諸行無常という真理も頭では理解していますが、実感することはほとんどありません。けれど、私たちはその只中で生き続けています。

諸行無常の真理に気づいた境地を、圜悟克勤禅師はこの語を通して説かれているのだと思います。





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