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過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得

並木 泰淳

あっという間に秋が過ぎていきます。


昨日庭掃除をしながら、今年はキンモクセイが良く咲き、香りも素晴らしかったなと振り返りました。頷いてくださるかたも多いと思います。さて、頷いてくださった方はキンモクセイがどのような香りであったか思い出してください。思い出せるような気もいたしますが的確に思い出すことは難しいものです。さらに他人に伝わるように言葉で表現してくださいと言われると至難です。



「甘い」「芳しい」「秋風に漂う、ほんのりとした香り」などと、核心をつく表現はできません。日常生活で不自由する程ではありませんが、言葉は森羅万象を網羅できるほど万能な技術ではないことに、キンモクセイの香りを通して気付かされました。

そこから推測することには、私たちの感覚は目の前の全ての事象を捉えているわけではなく、森羅万象を理解できるほど我々は万能ではありません。

森羅万象を自分の都合で真実と思い込んで頭脳で処理して、私たちは日々生きています。だからこそ、思い通りにいかない人生を送り

、迷い悩むのだと思います。

キンモクセイの香りを頭の中で思い描きながら、もうひとつ気づいたことには、香りを愛でる他の花と違ってキンモクセイは漂ってくる香りで、花が咲いたと気づくことが専らです。

目で見て把握してから香りを楽しむというのではなく、思わず漂ってくる香りだからこそ、私たちは鮮やかに感動するのだと思います。言葉では言い表すことができないと先に述べましたが、だからこそ味わい深いのだと思います。


『金剛般若経』に

過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得

という言葉が出てまいります。

思えば、キンモクセイだけではなく、自分の過去のこと、未来のこと、そして現在の自分自身のことについても的確に言葉で表現することはできません。思いを巡らし続けると、実体のない虚ろな存在のようにも思い詰めてしまったりもしますが、寄ってくる娘を抱きしめれば、確かに温かく声を掛ければ応答してくれて、実体があることを信じて疑いません。


諸行無常の只中で実態があるかもわからないまま、生かされ続けているのです。そうした儚い存在だからこそ、生かされていることは何より尊いですし、予測不能な未来を家族や周りのひとやものと手をとりあって生きていくからこそ味わい深いのだと思います。





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