涼しかった気候から、一転して暑さを感じる日がやってまいりました。
来年までの我慢だねと地元で話し合っていた浅草の三社祭は今年も神輿巡行はすべて中止になりました。
じっと篭っていた一年でしたが、巡ってみれば季節の移ろいはあっという間でした。不思議と今年は「来年は大丈夫」と思う心は湧いてきません。置かれた状況から逃避することなく、自然と順応しているのかもしれません。
表題の「江碧にして 鳥逾白く 山青くして 花然えんと欲す」は、盛唐の詩人 杜甫の作で、草堂(杜甫の住む草庵)があった成都(現 四川省)の錦江という川の晩春の情景が詠まれています。
現代訳をするならば、
錦江は深緑色でゆっくりと流れているので、そこに浮かぶ鳥の白い姿が際立ち、青葉で満たされた山には燃えるような紅い花が咲き誇っている。
などとなりましょう。
深緑の川・真白な鳥・新緑の山・真っ赤な花、どれをとっても生命が躍動していることを感じます。
禅語としては表題の句だけが引かれますが、この二句だけなく詩の全体を見ていきたいと思います。
江碧にして 鳥逾白く
山青くして 花然えんと欲す
今春 看又過ぐ (今年の春もみるみるうちに過ぎていこうとしている)
何れの日か 是歸年ならん(いったい、いつになったら故郷に帰るときがやってくるのであろうか)
この詩の題は「絶句」としてあり、絶句とは起承転結の四句からなる詩を意味していますので、杜甫は無題でこの詩を作ったことになります。
起句は文字通り最初の句であり「江碧にして鳥逾白く」は、晩春の成都の情景を読者に思い起こさせます。承句の「山青くして花然えんと欲す」は錦江のクローズアップされた起句の情景から視野を大きく広げ、成都全体の自然を詠いました。転句は詩に変化をもたらします。
鮮やかに詠いあげた起句と承句の晩春の情景に杜甫の心情が「今年の春もみるみるうちに過ぎていこうとしている」と、淋しげに織り込まれ、読者の興味を引きます。結句は、見事な自然に包まれながらも長安へ帰りたいという読者の予想を裏切る杜甫の心情が吐露されます。
杜甫は洛陽の近くで生まれ、早くから詩の才能を開花させ李白ら多くの詩人と通じ充実した一面もありますが、科挙の試験に落ちて仕官することはなかなか叶わず、困窮を極める生活を送ります。長男が生まれてもなお仕官は叶わず、詩を献上し続けて漸く官職を得た直後に安禄山の軍勢に長安は陥落し、唐の皇帝である玄宗は蜀(現在の四川省成都)に軍勢や長安で暮らしていた民衆を従えて逃亡、杜甫も成都に移り住むことになります。しかし運悪く、その途中に反乱軍である胡人の軍勢(中国北西角のペルシャ系民族:ソグド人)に捕まってしまいます。どうにか脱出して、成都に到着しますが更に困窮を極めます。なんとか周囲のひとの協力で草堂を建て生活をしていた五十三歳頃に表題の句を含む「絶句」が詠まれることになるのです。
きっと平穏だった蜀(成都)は、やっとのことで長安から逃げてきた人々で、混乱をきたしていたのだと想像します。
安禄山はサマルカンド(現在のウズベキスタン。青の都と呼ばれる)出身のソグド人(ペルシャ系)と突厥人(トルコ系)の混血でシルクロードを拠る多民族社会を生き抜き、皇帝 玄宗に取り入って出世した人物です。均衡を保っていた多民族社会の唐が安禄山の乱により崩れかかっていた最中に、杜甫は鮮やかに移ろいゆく成都の自然と、社会や自分はこれからどうなってしまうのだろうという先行き不安の対比を描いたのだと思いました。
考えれば、現在の我々が置かれた状況とよく似ています。
どうなってしまうのかという不安が自らの心にも社会にも蔓延しますが、自然は変わらずに移ろいゆきます。一変した周囲の状況に即座に適応できれば、楽に生きることができますが、そう簡単にはいきません。なんで私だけ、これからどうすればという不安に囚われて苦を味わい、それでも時間をかけて順応していきます。外の環境を変えることは難しいですが、自らの心を外境に順応させていくことで苦を抜くことができます。
『スッタニパータ』の851番では、苦を受けないつとめ励むひとについて、お釈迦様が以下のように説かれています。
未来にあるであろうことごとに向かって欲求していくこともなく、過去にあったことごとをいつまでも悲嘆しつづけることもない。いまここに経験していることごとがまさしくそのようにあるのみであって、いかなる実体もないことをさとっている。今までの生活が一変したことに悲嘆し、元どおりになるはずだと根拠のない願望が破れ続けているといつか挫けてしまいます。
いつまでも過去にくよくよせず、かといって未来を案じて心配してもしょうがないとお釈迦様は示されます。そして今を力一杯生きることを、表題の
江碧にして 鳥逾白く 山青くして 花然えんと欲す
を引用して、禅者は表現してきたのだと思います。
先行き不安に苛まれたと感じたら、目を背けずに自分の心を良く観察して、悪い癖を直すように心を調えていきたいものです。
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