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並木 泰淳

紅葉に思う

     

 段々、紅葉が美しく色づく季節になりました。


 私が修行した埼玉県新座市の平林寺は紅葉が綺麗なところです。紅葉の下で今年は色がいい、今年は遅いなどとお話しされてている観光客を見て、確かにそうだと思い季節の移ろいを噛み締めながら、終わりのない落ち葉掃きに汗を流していたことを思い出します。

 寒い風を肌に感じ、青空に舞う落ち葉を眺めていると、これから始まる冬の厳しい修行を想像して急に寂しくなったり、またやるしかないのだと決心し直したり、紅葉を見ると情が動かされるものです。


 修行から帰ると平林寺を倣って紅葉の寺にしたいと思い立ち、カエデを庭に植えました。しかし、自坊のある浅草は飲食店や自動車の排気のおかげで寒暖差がない為か、綺麗に紅葉することなく不満に思っていました。ある行事の折に紅葉真っ盛りの平林寺を訪れ、赤く染まった木々を見ていると、ふと紅葉はなぜ起こるのであろうかと疑問に思いました。自坊のカエデが紅葉しないと憤慨し澱んだ心に、鮮やかな気付きがありました。帰ってから事典などを調べると、思いがけず温かい心持ちがしましたのでご紹介いたします。紅葉のメカニズムはいまだわかっていないことも多く諸説あるとのことですが、ひとつの説を取り上げてお話し致します。

 

 春に芽吹いた葉は、夏に一生懸命に光合成をして幹に栄養を送る仕事をします。しかし秋になると日差しが段々弱くなり、光合成をして得られるエネルギーが少なくなります。そうすると、緑の葉を維持するエネルギーが、光合成により得るエネルギーより多くなります。収入と支出のバランスで言えば赤字の状態に陥ります。この状態を放置すると、夏までせっかく幹に貯めたエネルギーが全て無くなってしまいます。そこで、樹木は落葉することを決断します。その時、葉は自らに残ったエネルギーを保全するために赤い色素を出し、エネルギーを全て幹に送ってから、枯れて落ちるのだそうです。その保全のための色素のおかげで鮮やかな紅葉になる訳です。綺麗だなと思ったり、もののあはれにて感傷的になったりしながら見上げる鮮やかな紅葉の中では、自分がどうなってもこの子だけは守りたいという親心のような無数の葉のドラマがあります。

 

 さて私は五年前に大病をしました。あと二週間病院に行くことが遅かったら死んでいたであろうと医師から告げられるほどでした。一生付き合わなければいけない病気になったと知り、両親が涙ぐみながら、ベッドに横たわる私を見ていました。大きな図体になった息子にここまで心を寄せてくれるとはありがたいなぁと、しみじみと思っていました。

 時が過ぎ親になった今、私がどうなってもこの子だけは守りたいと気持ちを切実に感じるようになりました。こうした誰でも持っている温かい心は、親から躾けられたわけでもなく、学校で習うものでもありません。血が繋がっていなくても、幼いものや自分より弱い人に手を差し伸べる心です。きっとこの温かい心で、地球上に生命が誕生してから現在まで大切に生命が繋がってきたのだと思います。そう思うと、自分一人で生きているのではなく、大きな生命の流れの中で様々な人やもののおかげで生きていることに改めて気づかされ、自分だけ良ければなどという心の澱みが流れ去り、澄んだ心でおかげさまと周りの方々に素直に感謝して、おかげさまとご先祖さまにも自然と掌を合わせることができるのです。


 紅葉が綺麗ではないとか見頃はまだだったと不満に思うことなく、カエデの幹や葉のドラマから、万物が支え合って生きていることに改めて感謝したいものです。




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